親消息空如何、京城風雪無[#二]人伴[#一]、独剔[#二]寒燈[#一]夜読[#レ]書。
 彼が京都に住せしより声名は遽然《きよぜん》として挙がれり。此時に当りて学界の諸老先生漸く黄泉に帰す。文化四年には皆川淇園七十四にて逝《ゆ》き、柴野栗山七十二にて逝き、文化九年には山本北山六十一にて逝き、文化十年には尾藤二洲六十九にて逝く。旧き時勢は旧き人と共に去れり。文界学の新時代は来れり、而して頼襄は実に其代表者となれり。彼が感慨に富める詠史の詩は翼なくして天下に飛べり。彼の豊肉なる字躰は到る処に学ばれたり。竹田陳人が所謂挙世伝播頼家脚都門一様字渾肥といふもの、決して諛辞《ゆじ》に非りし也。彼は斯の如くに天下より景慕せられたり。書生は皆頼氏の門に向つて奔《はし》れり。文運は頼氏に因りて一変せられたり。彼は実に精神世界の帝王となれり。其一言一行は世人の熱心に注意する所となれり。其の言ふ所は輿論となるに足り、其詩賦は一世を鼓舞するに足れるものとなれり。彼が一度大所へ出でゝ当世才俊と呼ばるゝものと勝負を決したしてふ志願は成れり。而して彼は実に天下に敵なきものとして立てり。
 文化十年春水年六十八、孫元
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