建を非とし自ら封建以外の民たるを期せりとは吾人の決して想像し能はざる所なり。されば彼の外史を書くや亦実に此を以て大日本史が水藩に於るが如く芸藩の文籍となさんと欲せしに過ぎざるのみ。彼が備後に在るとき築山奉盈に与ふる書に曰く愚父壮年之頃より本朝編年之史輯申度志御坐候処官事繁多にて十枚計致かけ候儘にて相止申候私儀幸隙人に御坐候故父の志を継此業を成就仕、日本にて必用の大典と仕、芸州の書物と人に呼せ申度念願に御坐候と。其松平定信に与ふる書に曰く少小嗜[#レ]読[#二]国乗[#一]、毎病[#二]常藩史之浩穣[#一]、又恨[#二]其有[#一レ]闕云々。彼の光を大日本史と競はんとするに在りしや知るべきのみ。而して其の躰裁《ていさい》に至りても亦一家私乗の体を為し藩主浅野氏の事を書するときは直ちに其名を称せざるが如き愈《いよ/\》以て外史の本色を見るべき也。其後に至りて所謂|拮据《きつきよ》二十余年|改刪《かいさん》補正幾回か稿を改めしは固より疑ふべからずと雖も筆を落すの始より筆を擱《お》くの終りに至るまで著者の胸中には毫末《がうまつ》も封建社会革命の目的若くは其影すらもあらざりしなり。誰れか図らん此
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