《はなは》だ相違せしことを察すれば更に一層の驚歎を加ふべし。蓋《けだ》し彼は其生涯の後年に於てこそ所謂閑雲野鶴、頗《すこぶ》る不覊自由の人とはなりたるなれ当時に在りては猶純乎たる封建武士の子たりし也。而して彼の人と為りも亦容易に父母の国を離れ得るものに非りし也。彼は温情の人なり、恩に感じ易き人なり、知遇に讐《むく》ゐん為には何物をも犠牲に供し得る人なり、彼|奚《なん》ぞ容易に父母の邦を棄得んや、容易に天下の浪士となり得んや、彼は智識に於てこそ極めて改革的進歩的の男子なりしなれ情に於ては極めて保守的の人物たりし。冑山昨送[#レ]我、冑山今迎[#レ]吾、黙数山陽十往返、山翠依然我白鬚、故郷有[#レ]親更衰老、明年当[#三]復下[#二]此道[#一]。彼は封建の世界、道路の極めて不便なるときにすら、故郷の母を省する為には山陽道を幾たびも往還することを辞せざりき。彼が菅茶山に与ふる書を読むに其邦君の仁恕なるを称し且曰く天下之士誰不[#レ]被[#二]其国恩[#一]若[#レ]襄則可[#レ]謂[#二]最重[#一]矣と。彼は如何にしても其邦君を忘るゝ能はざりき。斯の如きの彼なるに彼は青年の時に於て既に封
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