間の生涯が如何計り辛酸なるものであるかを味ひし也。之を聞く広島より厳島《いつくしま》に至る途上に一個の焼芋屋(?)あり、其看板は即ち彼の書きし所なりと。彼れの家に錮せらるゝや屡※[#二の字点、1−2−22]大字を書して之を売れり。思ふに其看板は即ち彼が当時の筆なり。千古の文士も一たびは焼芋屋の看板書きとなり下れり。
 不名誉なる放蕩の結果は彼をして其父の志に違ひ頼家の嫡子たる権利を失はしめたり。然れども彼れ頼家の嫡子たる権利を失ひしが為めに著述を以て世に著るゝを得たり。
 閉[#レ]門脩[#レ]史出[#レ]門遊、時追[#二]吟朋[#一]上[#二]画楼[#一]、落日蒼茫千古事、毛陶戦処是前洲。彼が日本外史の編述は当時に始れり。彼の自ら記す所に因りて之を按ずるに文化三年六月には外史を草して既に織田氏に及べり。彼時に年二十七、而して其年三十に及んでは既に全く稿を畢《をは》れり。知るべし日本の文学史に特筆大書して其大作たるを誇るべき日本外史は実に一個の青年男児に成りたるものなることを。是れ実に驚くべし。而《しか》も人|若《も》し何故に彼が外史の編述に志したるかを知り更に其著の目的と其結果との太
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