、親戚なる某は襄を以て無頼の子なりと云ひ藩人は襄を以て国恩を蔑《ないがし》ろにするものなりと議せしかども襄の叔父は善く襄の志を知るものなりき。彼が篠田に与へたる同じ書簡の一節は襄の為めに好個の弁護者たるに足れり。曰く「然し狂妄なりとも宿志も有之事と相見候へば」と襄の挙動は如何にも狂妄に見へしなるべし。然れども叔父は其中に一片の志あるを看取せり。叔父既に之を看取す。後人何ぞ紛々をする。
頼襄の誘惑が如何程強きものでありしか、而して彼の為せし過は如何程大なるものでありしか、而して彼が此過失の為めに陥りし(或は好んで進み入りし)境遇は如何なるものでありしか、彼の伝を書くものは皆彼の為めに之を諱《い》めり。之を諱みしが為めに終に曖昧《あいまい》に陥れり。頼襄の生涯は猶一抹の横雲に其中腹を遮断《しやだん》せられたる山の如くなれり。只之が結果として知るべきは長子元協を生みし新婦御園氏の離別と京坂間をさまよひ歩きしことゝ数年間家に籠居せしことゝ仕籍を脱し叔父春風の子代りて元鼎春水の嗣となりしことのみ。而して彼自らは当時境遇を写すに窮愁の二字を以てせり。彼は実に此間に於て人生無数の憂患を味ひし也、人
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