と。嗚呼唯大意を領せりの一句即ち襄が終身の読書法也。栗山|頷《うなづき》て曰く可也。
 襄江戸に在る一年にして去れり。而して彼は終に再び江戸の地を履《ふ》むことを得ざりし也。彼の還るや時正に初夏東山道を経て帰れり。夾山層巒翠※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28][#レ]天、濛々山駅雨為[#レ]煙、蓋し当時の光景也。
 父は光れり、子は曇れり。久太郎義近年兎角放縦に有之浪遊に耽り候故、親戚朋友切誠懇諭も仕候得共不相改、当月五日竹原大叔父病死仕候に付為弔礼家来添差遣仕候処途中より逐電仕候と悲しむべき報知の頼杏坪より九月十九日付にて其友篠田剛蔵に達したるときは正に是れ春水が赤崎元礼と共に特典を以て昌平黌に経を説きし年なりき。宿昔青雲の志今や漸く伸びて声名海内に揚れる時に方りて、其愛子は、特に竜駒鳳雛として、望を交友より属せられたる愛子は、蕩児《たうじ》とならんとせり。一栄、一辱、一喜、一憂、世態大概斯くの如し。然れども頼家も日本も頼襄が一たび血気の誘惑に遇ひしが為めに多く損ずる所あらざりし也。当時大坂の中井履軒は襄を責めて不孝の子なりとなし相見ることを許さず
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