著はし優勝劣敗是天理といへる前提より、自由民権主張すべからず、政府と役人と貴族とに従順なるべしと云へる奇妙なる結論を為し得意然たりし時に彼は寸鉄人を殺す的の冷評を試みたりき。福沢諭吉氏が通貨論を著はして紙幣も貨幣も差違なきが如く、詭弁《きべん》を逞《たくまし》くせし時に彼れは之を難詰して許さゞりき、彼は世の称讃する大家先生の前に瞠若たるものに非らず、彼れは自らの力を信ぜしかば、容易に他人に雷同せざりし也。
(六)精細  彼は精力過絶なりと曰ふべからず。彼れは曲亭馬琴の半ば程も精力を有せざるべし。然れども普《あまね》く辛苦して材料を蒐聚《しうしゆう》するに至りては吾人は之に敬服せざるを得ず。「ペインステーキング」が若し文家の一特質ならば、彼はたしかに此特質を有する也。彼の統計表を作り、年表を作ることの如何《いか》に精細なるよ。彼れ嘗《かつ》て新井白石を称讃して其概括力に加ふるに精細緻密の能あるを称讃したりき。彼は精細の点に於て実に白石氏に似たり。
(七)若し彼の短所を言へば  其自信に強きが為めに往々独断に流るゝことあり。たとへば高橋五郎氏に胡誕《こたん》妄説なりと論斥せられし「興雲興雨」の術の如き、彼れは其知らざる物理をも軽《かろ/″\》しく論じ去れり。其一たび基督教に入つて更に之より出でしが如き、而して其霊気学を唱道せしが如き、其宗教論の如き(吾人嘗て史海の批評に於て之を指出したり)頗《すこぶ》る大切なる結論を容易に為せり。
 独断なり故に狭隘《けふあい》なり。彼は数個の原則を捉《つか》み此を以て人事の総てを論断せんとせり。彼は何物も此原則の外に逸する能はずとせり。彼の史論が往々にして演繹的《えんえきてき》にして帰納的《きなふてき》ならざるものあるは(たとへば日本開化小史、上古史の如き)之が為めなり。

     田口卯吉君と其著述(三)

 此脳と此腕とを持てる彼れは自由貿易論者として顕《あら》はれたり。純粋なる寧《むし》ろ極端なる「マンチェスター」派の経済論者として顕はれたり。自由貿易と田口卯吉氏は恰《あたか》も賈生《かせい》と治安策、ダルウヰンとダルウヰニズム(化醇論)、スペンサーと不可思議論の如く、彼れを説けば必ず是れを聯想する名となれり。彼は極端なる個人主義、放任主義、或る意味に於ての世界主義を遠慮会釈なく説き立てたり。世は彼れの為めに驚かされたり、或る者は其大胆なるに恐れたり、或る者は其議論の条理整然として敵すべからざるを恐れたり。彼れは誰れにも推《お》されず誰れにも戴かれずして日本の経済家となれり。其経済雑誌が世上の歓待する所となりて、書生も読み、官吏も読み、実業家も読み、羽なくして四海に飛び、競争者を圧し、反対家を倒し、声望隆々として旭日《きよくじつ》の如き勢を呈せしは明治十五六年より同十八九年の交に在りき。
 吾人は今経済雑誌に就きて評論せざるべし。然れども其|嘗《かつ》て一たび世上に歓待せられたる理由は此に一言せざるべからず。蓋《けだ》し明治の初年より洋学者が世上に紹介せし経済論は大約アダム・スミスを祖述し一個人を単位とし放任主義を旨《むね》とする旧学派なりしかば、経済学は即ち自由貿易論なりし也。而して田口君は善く此主義を捉んで之を事実に応用せり。是れ其読者を得ることの多かりし理由の一也。而して我国情も亦此主義の成長を助くる者ありき。明治の初年より政府の最も鋭意せし所は外国の文物を輸入するに在り。大久保内閣及び其継続者は政府の一面に於てこそ保守の政策を取り、言論の自由を抑へ、貴族政治を助長せしと雖《いへど》も経済の一面に於ては猶進取の政略を取り、政府万能主義の実行者にして、頻《しき》りに勧業の事に心を用ひしかば上の好む所下之より甚《はなはだ》しき者ありて地方官の如きは往々民間の事業を奪ひて之を県庁の事業とし以て大官に諂《へつら》はんとする者あり。経済雑誌は斯《かく》の如き時に於て起てり。其批評的、破毀的《はきてき》の議論は善く其弊害を鑿《うが》ちしかば天下は勢ひ之を読まざるを得ざりき。是れ其理由の二也。
 田口君の著述として文学史に特筆せらるべきものは彼れの日本開化小史なり。明治政史の一大段落なる西南乱の未だ発せざる頃当時猶|孱弱《せんじやく》なる一青年の脳髄に日本の文明史を書かばやてふ一大希望ぞ起りける。彼れは大胆にも其事業に取り掛かれり、而して間もなく日本開化小史世に出でたり。記憶せよ、此有味なる、其模型に於て新しき、歴史は実に斯の如くにして出たりき。
 吾人は日本開化小史に就て幾多の欠点を見たり。而れども是れが青年田口の作なりしことを思ひ、吾人が猶田舎に於て紙鳶《たこ》を飛ばし、独楽《こま》を翫《もてあそ》びつゝありし時に於て作られし著述なることを思へば非難の情は愛翫の情に打勝れざるを得ず。而して是
前へ 次へ
全9ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
山路 愛山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング