思想は数年間之を発表すべき文学を求めつゝありしなり。而して其暗中に摸索するが如き勤労は先づ外山|正一《まさかず》矢田部良吉等諸氏の新躰詩と為り、「我は海軍、我敵は古今無双の英雄ぞ」と曰《い》ふが如き、「かせがにやならぬ男の身」といふが如き、今日より見れば随分|蕪雑《ぶざつ》なる或者はアホダラ経に似たる当時より見れば、頗《すこぶ》る傑作なる文学を出し、更らに矢野文雄氏の経国美談報知新聞の繋思談の如きものとなりて現はれ、シキリに現世紀の思想を顕はし、現世紀の感情を歌ふべき文躰を発見せんと努力せり。是ぞ明治思想史第三段となす所謂《いはゆる》「言文一致躰」と言ひ、「翻訳躰」と言ひ、「折衷派」と曰ひ、「元禄風」と曰ふが如き皆是れ脩辞上の題目にして、而して今日に至るまで未だ一致したる形式を為さゞる者なり。
斯《かく》の如く脩辞の問題盛んなると同時に美術的の文学(即ち狭義の文学)は勃然《ぼつぜん》として起り来れり。蓋《けだ》し脩辞を以て直《たゞ》ちに文学の全躰なりとするものは未だ文学を解せざる者なり。脩辞は唯文学の形式なるのみ。然れども渠《きよ》ありて始めて水の通ずるが如く思想を顕はすべき形式なき間は到底精細美妙なる審美的の観念は其発達を自由にする能はざるなり。是故に美術的の文学は是非とも脩辞の発達を待ちて発達するなり。而して明治の文学も亦此通則を免《まぬが》る能はずして脩辞の時代と共に美術的の文学は来れり。高壮美真の如き理想の歌はれたる恋愛学慈悲友誼、愛国の如きもの不完全にもせよ稍《やゝ》精細に画かれたるは実に此時限に始まれり。波瀾層々此文運は如何になるべきか、何処に向つて奔るべき乎。過去は即ち未来の運命を指定する者なり、未来は即ち過去の影なり。請《こ》ふ吾人をして明治文学史を観察せしめよ。
凡例三則
編述の躰裁は錯雑なり
吾人は序論に於て明治文学に三段落あることを論じたり。編述の躰裁を整へんとせば、須《すべか》らく筆を明治の初年に起し、福沢、西、中村等諸先生より論じ起すべきなり。しかも斯《かく》の如くせんには材料未だ具《そな》はらざる也。比較、簡撰《かんせん》多少の時日を要するなり。吾人にして若し間暇あらば実に斯の如くせんことを欲す。怨《うら》むらくは吾人の境遇之を許さゞるなり。
此に於てか吾人は先づ材料を得し所より筆を着け、随て記るし、年序を
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