等に因《よ》りて廃刀論、廃帝論、男女同権論の如き日本歴史に未曾有《みぞう》なる新議論を遠慮会釈なく説《と》き立てしが如き、中村敬宇先生が自助論を飜訳し耶蘇教の洗礼を受けしが如き、皆是れ前例なく先蹤《せんしよう》なく、前人の夢にだも思はざる所迄に向つて先づ手を附けし者なり。其勢水の堤を破りて広野を湿すが如く浩々滔々として禁ずべからず、止むべからず。千里の竜馬|槽櫪《さうれき》の間を脱して鉄蹄を飛風に望んで快走す、何者も其奔飛の勢を遏止《あつし》する能《あた》はず、何物も其行く所を預想する能はず。
 既にして奔《はし》る者は疲れたり。回顧の時代は来れり。成島|柳北《りうほく》、栗本|鋤雲《じようん》の諸先生が新聞記者として多くの読者を喜ばすに至りたるは何故ぞ。反故《ほご》の中に埋るべき運命を有せりと思はしめたる漢詩文が再び重宝がられ、朝野新聞の雑録及び花月新誌の一瀉《いつしや》千里の潮頭が忽《たちま》ち月の引力に因りて旧の岸に立廻らんとせしに非ずや。英語階梯や「リードル」を携へて洋学先生の門に至りしものが更に之を抛《なげう》ちて再び漢学塾を訪ひ、古老先生の教を拝聴せしものは何故ぞ。余りに急走したる結果が大なる休息を求むるに至りたる故に非ずや。
 然《しか》れども第十九世紀の大勢は後へを圧せり。疲れたりと雖《いへど》も中止すべからざるなり。填然《てんぜん》として之に鼓《つゞみう》ち兵刃既に交はるに及んでは勢勝敗を決せざるべからず。其一兵一卒の疲れたるが為めに全軍の掛引を変ずべからず。福沢諭吉氏を除きては先輩諸子の既に殆《ほと》んど倦色を著はせし当時に於て田口|卯吉《うきち》氏は経済に於て自由貿易論を主張し、馬場|辰猪《たつゐ》氏は政治上に於て自由民権を説き、中江|篤介《とくすけ》氏は社会的に平民主義を論じ、星、大井の諸氏は法律論を唱へ、此回顧的退歩的の潮流に抗し民心を激励|鞭撻《べんたつ》して此切所に踏み止《とゞま》り、更に進歩的の方角に之を指導せんとせり。是|蓋《けだ》し明治思想史の中世紀なりとす。
 思想は来れり。之を表はすべき文学は如何《いかん》。蓋し心に思ふより口に言はるゝなりとは思想界に於て正当に来るべき順序にして思想は必ず脩辞《しうじ》の前に来る者なり。思想ある者は必ず之を正当に言顕はすべき言語を求めずんばあらず。上来|陳《の》べ来りしが如き新日本に生じ来れる
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