たりとか云ふ評判なれば其儘《そのまゝ》掲げたる耳《のみ》。余自身には御立派な御文章のやうに拝見|仕候也《つかまつりさふらふなり》。
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田口卯吉君と其著述(四)
田口君の史論に関し大欠点と覚ゆるは彼れの人物に重きを置かざることなり。彼れの史論は余りに因果づくめなり。斯《か》うすれば斯うなる者、斯《かゝ》る場合には斯る現象を生ずと予《あらかじ》め人事を推断して、而して史を評する者なり。若き男女を一室に置けば時として恋話を生ずべし、然《しか》れども亦生ぜざることもあるべし、人間の万事唯一の常感を以て論ずべくんば、此世は実に動かすべからざる宿命の支配する所也。然れども人類は斯の如き者に非《あらざ》るなり、英雄の行為は時として尋常の外に飛び出づることあり、時勢は人を作る者なれども、人も亦時勢を作る者也。歴史家の眼中は決して人物を脱すべからざる也。
田口君固より人物を論ぜざるに非ず、然れども不幸にして田口君の著す所の人物は平凡の人物なり、彼れの筆は英雄を写し出す能はざる也。彼れは人物に向つて同感の情少なき也。史上の人物に対して敬畏崇拝の念を生ずる如きは田口君に於ては蓋しなき所也。熱情は或は人をして判断を過らしむることあるべし、然れども熱情ある人に非れば活《い》きたる人物を写し出すこと能はざる也。史海にも、日本開化小史にも吾人は君が英雄崇拝の迹《あと》を見るを得ざる也。
人物論は論理学の為し能ふ所に非る也、論理学を以て人物を論ぜんとせば直ちに人物を破毀すべきのみ。人を知るの最もなる道は直覚なり、同感なり、詩人的の識認なり、不幸にして彼れは之を欠けり。
福沢諭吉君及び其著述(一)
田口君に就きて猶言ふべきこと多けれども、そは他日機会を見て此処《こゝ》に掲《かゝ》ぐべし、乞ふ吾人をして眼を明治文学史の巨人なる福沢諭吉君に転ぜしめよ。
明治五年二月より明治十年十月まで学問ノ勧《スヽ》メ発売高合して五十九万八百四十六部、彼れが明治の開化史に於て偉大なる影響を及ぼしたるや知るべきのみ。彼れは実に無冠の王なりき。英雄の事業一成し一敗す、維新の大立者たる西郷隆盛は城山の露と消え残るは傷夷《しやうい》と国債とのみ。松菊、甲東|空《むな》しく墓中に眠りて、而して門下の故吏|徒《いたづ》らに栄ふ。而して此間に方《あた》りて白眼天下を睥睨《
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