者は其大胆なるに恐れたり、或る者は其議論の条理整然として敵すべからざるを恐れたり。彼れは誰れにも推《お》されず誰れにも戴かれずして日本の経済家となれり。其経済雑誌が世上の歓待する所となりて、書生も読み、官吏も読み、実業家も読み、羽なくして四海に飛び、競争者を圧し、反対家を倒し、声望隆々として旭日《きよくじつ》の如き勢を呈せしは明治十五六年より同十八九年の交に在りき。
吾人は今経済雑誌に就きて評論せざるべし。然れども其|嘗《かつ》て一たび世上に歓待せられたる理由は此に一言せざるべからず。蓋《けだ》し明治の初年より洋学者が世上に紹介せし経済論は大約アダム・スミスを祖述し一個人を単位とし放任主義を旨《むね》とする旧学派なりしかば、経済学は即ち自由貿易論なりし也。而して田口君は善く此主義を捉んで之を事実に応用せり。是れ其読者を得ることの多かりし理由の一也。而して我国情も亦此主義の成長を助くる者ありき。明治の初年より政府の最も鋭意せし所は外国の文物を輸入するに在り。大久保内閣及び其継続者は政府の一面に於てこそ保守の政策を取り、言論の自由を抑へ、貴族政治を助長せしと雖《いへど》も経済の一面に於ては猶進取の政略を取り、政府万能主義の実行者にして、頻《しき》りに勧業の事に心を用ひしかば上の好む所下之より甚《はなはだ》しき者ありて地方官の如きは往々民間の事業を奪ひて之を県庁の事業とし以て大官に諂《へつら》はんとする者あり。経済雑誌は斯《かく》の如き時に於て起てり。其批評的、破毀的《はきてき》の議論は善く其弊害を鑿《うが》ちしかば天下は勢ひ之を読まざるを得ざりき。是れ其理由の二也。
田口君の著述として文学史に特筆せらるべきものは彼れの日本開化小史なり。明治政史の一大段落なる西南乱の未だ発せざる頃当時猶|孱弱《せんじやく》なる一青年の脳髄に日本の文明史を書かばやてふ一大希望ぞ起りける。彼れは大胆にも其事業に取り掛かれり、而して間もなく日本開化小史世に出でたり。記憶せよ、此有味なる、其模型に於て新しき、歴史は実に斯の如くにして出たりき。
吾人は日本開化小史に就て幾多の欠点を見たり。而れども是れが青年田口の作なりしことを思ひ、吾人が猶田舎に於て紙鳶《たこ》を飛ばし、独楽《こま》を翫《もてあそ》びつゝありし時に於て作られし著述なることを思へば非難の情は愛翫の情に打勝れざるを得ず。而して是
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