なり、而して信徒は空論の人となるべき也。
 吾人の必らず記すべきことは、吾人は理想の中に活《い》くる者に非ず、実地の世界に立つ者なることなり。所謂、改悔《かいくわい》、救拯《きうじよう》、信仰復活の如きは総て想考的のものに非ずして、経験的のものたることなり。牧師は会員に基督教徒たる教育を与ふべき者にして会員に基督教義の学問を教ふるは寧ろ其第二、第三の務に属するなり。
 昔しは儒生実地に用なきの空論にのみ汲々《きふ/\》たりしかば人をして六経は争論の資のみと嘲《あざけ》らしめたりき。願《ねがは》くは基督教会を以て空論の巣となして識者をして冷笑せしむる勿《なか》れ。
 予言者は殺されたり、然れども追慕せられたり。精神界の改革は、軽蔑せられ、迫害せられ、殺されたる少数者の手に因りて濫觴《らんしやう》せり。吾人たとひ現時に於て骨を溝中に暴《さら》すとも百世の後、我日本の精神界、道徳界に大造《たいざう》あるの名を遺さば亦以て怨《うら》みなかるべし。
 柔かき臥床《ふしど》は英雄の死せんことを希《ねが》ふ場所に非ず。誹謗《ひばう》、罵詈《ばり》、悪名、窘迫《きんぱく》は偶《たま/\》以て吾人の徳を
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