《ヨーロッパ》ナイズされんとせり、勿論|輓今《ばんきん》稍《やゝ》我人心が少しく内に向ひ、国粋保存の説が歓迎さるゝの現象は見ゆれど、是唯我人民が小児然たる摸倣時代より進んで批評的の時代に到着したるの吉兆として見るべきものにして、余は之れが為めに我が文明の歩を止むべしとは思はざるなり。論じて此《こゝ》に到れば、吾人《われら》は今文明の急流中に棹《さをさ》して、両岸の江山、須臾《しゆゆ》に面目を改むるが如きを覚ふ、過去の事は歴史となりて、巻を捲《ま》かれたり、往事は之れを追論するも益なし、未来の吉凶禍福こそ半《なかば》は大勢に在り、半は吾人の手に存するなれ、我文明を如何《いか》にすべき、是吾人の今日に於て解釈すべき問題に非ずや、呉越《ごゑつ》の人たとひ天涯相隔つるとも、一舟の中に乗ぜば安全なる彼岸《ひがん》に達せしむるまでは、共に力を此に致さざるべからず、来れ老人よ、青年よ、仏教家よ、「クリスチァン」よ其相互の感情に於ては冷かなるも、其宗敵たる位置に於ては相争ふも、此一事に於ては兄弟であれ、手を携ふるものであれ。
吾人《われら》は今文明急流の中に舟を棹しつゝあり、只順風に帆を挙《あげ》て
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