人の私言に非ず、又「クリスチァン」の偏説にも非ず、歴史を編む者、悉《こと/″\》く之を認む、ルーサーも之を認め、ギボンも之を認め、レナンも亦之を認む、我日本の精神的改革を図る者|焉《いづくん》ぞ目を此《こゝ》に注がざる、吾人は似て非なる者を悪《にく》む、更に名を宗教に借りて実なき者を悪む、聞く獅子の身中に虫ありて獣王だも、猶之が為に殺さると、彼《か》の宗教の名を以て、世に行はるゝ虚礼、空文は奚《いづくん》ぞ基督教の獅身虫に非《あらざら》んや、それ藩籬は以て侵叛を防げども之が為に其室内の玲瓏《れいろう》を遮《さへぎ》るべし、世の所謂神学なるもの、礼式なるもの、或は恐る之れが為に基督の品格を蔽はんことを、而れども仁を啖《くら》ふ者は穀を割らざるべからず、其永々しき祈祷に辟易《へきえき》し、其クド/\しき礼拝に辟易して、其内に存する甘実を味ふ能はずんば、寧《むし》ろ智者の事ならんや、基督嘗て曰へり我は道なり、生命なり、光なりと真個《まこと》に基督教を脩めんとするもの、真個に基督教を攻撃せんとする者、焉ぞ其本に返りて、基督の品格を研究せざる、庶幾《こひねがはく》は以て無益の争論を止むべし。
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