ろ低くんば、其国民も亦低からざるを得ず、国民の理想とするところ高くんば其国民も亦高からざるを得ず、故に吾人は英雄を仰がざるべからず、而して其英雄は最大至純の者ならざるべからず。
 吾人《われら》は今|爰《こゝ》に印度の公子とナザレの木匠とを比較せんとする者に非ず、何となれば、斯る議論は「宗教家」として徒らに争論の資を作るが如きものたるのみならず、其生長の年歴さへ、種々の説ありて殆んど神秘時代に属するが如く見ゆる瞿曇《クドン》氏とヲーガスチン帝の時に生れ、タイベリアス帝の時に殺されし、純然歴史上の人物たるイヱス、キリストとを比較せんことは少しく不倫の嫌あればなり、而れども吾人は爰に確乎たる信用を以て、イヱス、キリストの人品は信《まこと》に世界の師範として仰ぐに足るべきものなることを敢言せんとす、思ふにゾロアスタル、釈迦《シャカ》の如き文籍未だ備はらず考証未だ全《まつた》からざる、時代に属する人は之を置く、歴史以後の人、ソクラテスと雖《いへども》、プレトーと雖、孔丘《コウキウ》、老冉《ロウゼン》、荘周《サウシウ》と雖、之をイヱス、キリストに比すれば、光芒|太《はなは》だ減ずるを覚ふ、是余一
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