五人扶持の彼にとっては、力に余る三両という大金だった。が、彼は前後の思慮もなかった。懐中していた一朱銀を、手金としてその通辞に渡すと、彼は金策のために、藩邸へ馳《は》せ帰った。
彼が、駆けつけていったのは、家老岡新左衛門の屋敷であった。岡は、かねてから玄白に好意を持っていた。彼は玄白の懇願をきくと、
「それは求めておいて、用立つものか。用立つものならば、価は上より下しおかれるよう取り計らって得させよう」といった。
そう答えられると、玄白も感奮した。
「されば、必ずこうという目当てはござりませねども、是非とも用立つものにしてお目に掛けるでござろう」と、誓わずにはおられなかった。
ちょうど、座に小倉左衛門という男が、居合わした。
「それは、なにとぞ調えて遣わされたい。杉田氏はそれを空しくする人ではござるまい」と、助言してくれた。
ターヘルアナトミアを自分のものにして、玄白は小躍りして欣んだ。
三
三月三日のことであった。玄白は、その日も長崎屋へ出向いていた。将軍家の、オランダ人御覧が昨日|滞《とどこお》りなく終ったので、カピタンを初め、二人の書記役《シキリ
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