東下を潔しとし、恭順を斥《しりぞ》けていたものの、心のうちでは、皆差し迫る妻子との別離を悲しみ、住み馴れた安住の地を離れて、生還の期しがたい旅に出る不安に囚われ、銘々心のうちでは、二の足を踏んでいたのであるから、多くの藩士たちは、口には出さないが、下士たちの絶対恭順論に心を傾けずにはいなかった。神籤《みくじ》のために、嫌々ながら、東下論に従っていた恭順論者は、再び自説を主張し始めた。かくて、一藩はまたもや激しい混乱に陥った。
東下論の主張者である酒井孫八郎、杉山弘枝はおどろいて、下士たちの鎮撫方を、政治奉行の小森、山本に交渉した。二人は、彼ら自身恭順論者でありながら、必死に下士たちを宥《なだ》めて、籤に当って決った藩論に従わしめようと焦った。が、下士たちはその主張を固守して、一歩も退《ひ》かなかった。一方東下論者の酒井、杉山は、神籤によって決った東下を、明日にも実行しようと迫った。政治奉行の小森と山本とは、東下論者と下士たちの板挟みになって、下士たちの鎮撫不能の責任を負うて、城中で屠腹してしまった。それは十二日の午前であった。
二人の死を、転機としたように――二人の死をまったくの犬
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