出た籤によって、一藩の態度を決しようではないか、というのであった。
 議論に疲れていた――また心のうちでは、帰趨に迷うていた――多くの藩士たちは、挙《こぞ》ってその説に賛成した。
 こうして、籤は作られた。発案者の酒井が選ばれて、籤を引いた。引かれた籤は東下の籤であった。東下の籤が出た以上、恭順論者も諦めてそれに従う外はなかった。
 藩老たちは、一藩の士卒を城中に呼び集めて、評定の経過を語った後、関東へ発足するについての用意を命じた。命じられた藩士たちは、家財を取り片づけ、妻子を、縁故縁故を辿って、城下の町、在の百姓に預けるなど、一藩は激しい混乱に陥った。
 が、そこに思わざる反対が起った。それは、お目見得以下の軽輩の士が一致しての言い分であった。彼らは太平の世には、上士たちの命令を唯々諾々としてきいていた。が、一藩が危急に瀕すると、そこに階級の区別はだんだん薄れていた。階級が物をいわずして数が物をいうのであった。三百名に近い下士たちは、足軽組頭矢田半左衛門、大塚九兵衛を筆頭として、東下論に反対した。彼らの言い分はかなり筋道が通っていた。
 関東へ下るということは、将軍家及び藩主|定敬
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