いうのであった。
「獄門台は、右のような次第で作らせたものでござる。地上においては、調練の邪魔になるほどに、あのような粗相をいたしたのでござろう。不念の段は、拙者から幾重にもお詫びいたす。許されい、許されい。これはとんでもない粗相じゃった、はははははは。が、間違いで、めでたいめでたい」
 きいているうちに、桑名藩の人々の相好が崩れていた。隊長の語り終った頃には、それが湧き立つような哄笑に変っていた。彼らは、腹を抱えて笑いながらも、目にはいっぱいの涙を湛えていた。

          六

 その誤解は、うちとけた哄笑で済んでしまったけれど、鳥取藩士の格之介に対する追及は、それでは済まなかった。彼らは藩の面目にかかわる一大事だから、どうあっても探し出すと揚言した。東海道筋には、官軍が満ち満ちている故に、江戸へ下り得るはずはない、近在に潜んでいるに違いないとあって、十人、二十人、隊を組んで、鳥取藩士は四日市、桑名、名古屋を中心に、美濃、伊勢、尾張の三国の村々在々を隈なく捜索した。その中の一隊は、員弁《いなべ》川に添うて濃州街道を美濃の方へ探して行った。
 桑名の西北六里、濃州街道に添うて
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