市左衛門が帰って来たその夜、城中の大広間で、一藩の態度を決するための大評定が開かれた。
血気の若武者は、桑名城を死守して、官軍と血戦することを主張した。が、それが無謀な、不可能な、ただ快を一時に遣《や》る方法であることは、誰にもわかっていた。隣藩の亀山も、津の藤堂も勤王である。官軍を前にしては、背後にしなければならぬ尾州藩は、藩主同士こそ兄弟であるが、前年来朝廷に忠誠を表している。なんらの後立《うしろだて》もなく、留守居の小勢で血戦したところで、一揉みに揉み潰されるのは、決っている。
死守説は少数で、すぐ敗れた。その後で、議論は東下論と恭順論との二つに分かれた。東下論は硬論であり、恭順論は軟論であった。
家老の酒井孫八郎や、軍事奉行、杉山|弘枝《ひろえ》は、東下論を主張した。彼らの主張はこうであった。城を守って一戦することは華々しいことであるが、この小勢では一日も支えがたい。が、それかといって、藩主|定敬《さだたか》公がまだ恭順を表されない前に、城を出でて官軍に降るということは、相伝の主君に対して不忠である。従って、我々の採る道は、今の場合一つしかない。それは、城をいったん敵に渡
前へ
次へ
全35ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング