桑二藩の所隊は、算を乱して紀州路に落ちて行ったこと、朝廷では討幕の軍を早くも発向せしめようとしていることなどが、彼によって伝えられた。
一藩は、色を失った。薩長の大軍が、錦の御旗を押し立てて今にも東海道を下って来るといったような風聞が、ひっきりなしに人心を動かした。
桑名は、東海道の要衝である。東征の軍にとっては、第一の目標であった。その上、元治元年の四月に、藩主越中守が京都所司代に任ぜられて以来、薩長二藩とは、互いに恨みを結び合っている。薩長の浪士たちを迫害している。ことに、長州とは蛤門の変以来、恨みがさらに深い。彼らは、桑名が朝敵になった今、錦旗を擁して、どんなひどい仕返しをするかもわからない。
藩中が、鼎《かなえ》のわくように沸騰するのも無理もなかった。藩主も留守であって、一藩の人心を統一する中心がない。その上、多くの家庭では、思慮分別のある屈強の人たちは、藩主に従うて上京している。紀州路へ落ちたという噂だけで、今はどこを漂浪《さすら》っているかわからない。留守を守っている人々は、老人でなければ女子供である。そうした家庭では、狼狽してなすところを知らないのも当然である。
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