》しい笑顔が浮んでくる。結婚の当時、彼女は十六になったばかりであった。赤いてがらのかかった大丸髷が、彼にはまたなく、いじらしく考えられた。彼の足は矢も楯も堪らないように、故郷の方へ向いていた。
 彼が、奈良から、伊賀街道を伊勢に出《い》で、桑名に達したのは、一月の十二日であった。
 彼は故郷へ帰って来たものの、心ひそかに藩からのお咎《とが》めを恐れていた。が、それ自身危急に瀕している藩は、こうした敗兵たちに対する処分などは、思いも及ばなかった。むしろ、次々に馳せ帰って来る敗兵たちから、上国の形勢をきくことを、欲していたのであった。
 妻のおもとは、格之介の不時の帰宅を小躍りして欣《よろこ》んだ。格之介も、自分の行動がいい結果に終ったことを欣んだ。厳密にいえば――うまくいい訳が立っても、落伍の罪がなんのお咎めもなく済んだことを、格之介はこの上なき僥倖に思った。
 差し迫る一藩の大事に脅えながらも、蜜のような歓楽の日が、この若い夫婦の間に、幾日か過ぎた。それが、再び恐ろしい不幸によって、めちゃめちゃにされるまで。
 敗兵お召出しの個条が、官軍からの御沙汰にあるときいたとき、格之介は色を失っ
前へ 次へ
全35ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング