ばかり経つと、返って来た。ホンの形式のために、越前はそれを聞いて見た。すると、思いがけもしないことを、その書類の上に見出した。
長吉の判決文だけには、将軍の朱筆の跡がないのである。これは、あきらかに将軍が、朱でマルをかくのを、忘れたのである。書いたつもりで、次をめくってしまったのである。将軍の不注意であることに、相違なかった。
老中が見たと云うしるし[#「しるし」に傍点]はついて居るが、将軍の朱筆はないのである。幕府に伺ったが、将軍が死罪を裁下しなかったと云う形式がととのっている。
越前は、同心ともう一度差し出すべきかどうかを相談した。しかし、もう一度差し出す事は、将軍の不注意を、とがめ立てするようにも当るのである。形式は、ととのっているのだから、死一等を減じて判決した方が、合法的なのである。
越前は、長吉の相にめでて、もう一度長吉をゆるしてやることを決心した。そして、意地にも改心させて見ようと思った。
越前は、同心達に云った。
「われわれ人間のさばきには、どうしても間違いがある。長吉の名前に、朱筆がないのは、将軍家の御失念かも知れないが、やはり人間のあやまちを正す天意かも知
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