見え、やがて再び捕えられた。北町奉行の手に捕えられたのだが、一度南町奉行に捕えられた事のあるものは、調書や何かの関係で、北町奉行から、南町奉行所へ廻して来るしきたりである。
同心から渡された、新しい罪状書を見た大岡越前は、眉《まゆ》をひそめた。改心どころか、犯行は一倍ましになっている。
金額も、十両以上が三件もある。しかも、その内一件は、旗本屋敷へ忍び込んで、三十両はいっている主人の手文庫を盗んでいる。大名屋敷や旗本屋敷に忍び込んだものは、武家の権威を維持するためにも、重科に処せられるのである。こうなると、一度軽く処罰した責任もあるので、極刑に処する外はなかった。
昔も、人命はある程度重んじたので、死罪の者は、奉行から老中に申請して将軍の裁可を受けることになっていた。
尤も、それは形式的なもので、奉行が決定した罪の判決文の上に、将軍が朱筆で、マルをかくだけである。むかしは、将軍自身が死一等を減ずることなどがあったが、越前が就任してからは、そんな事は一度もなかった。
長吉の名は、他の七人の死刑囚と共に書き出されて、将軍の裁可を受けるために、幕府にさし出された。いつもの通り、十日
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