ますと夜泣きそばが、屋台をおろしていましたので、立ち寄って一杯ひっかけましたが、そのそば屋と云うのが、十三、四の小僧でございます。うすぎたない袷《あわせ》を着てガタガタふるえているのでございます。しかも、真青なひだる[#「ひだる」に傍点]そうな顔をしているのでございます。『お前ひもじいのじゃないか』と、きいてやりますと、三日食っていないのだと云います。『じゃ、おじさんが代を払ってやるから、そばを喰いねえ』と、申しますと、商売物のそばを喰《た》べると、冥利《みょうり》がつきると申します。いろいろ事情をきいてやりますと、一人の母が病気で二年ごし寝ているが、一昨夜も昨夜も、雨で商売が出来なかったので、何も喰べさせる事が出来なかった、お客さまが、代を払って下さるのなら、家へ持って帰って、おふくろに喰べさせたいと申します。可哀そうに存じましたので、そば代を払った上に、丁度その賭場《とば》でかせいだ中から二分金を一つやりましたが、感心なことにそれを、なかなか受け取ろうとは致さないのでございますが、やっと地に投げすてるようにして参りましたが、それでも私を十間ばかり追いかけて来ましたが、及ばないと見え、そのまま地面に坐《すわ》って私の方を拝んで居りました。やくざな私を、拝んでくれるのかと思うと、私もわるい気持はいたしませんでした。それ以来、半年ばかり永代の近くを通りますときは少し遠回りを致しましても、立ち寄ってそばを喰うことに致して居りました……」
 越前も、ひとみを少しうるませながら、
「その都度合力もいたしたか……」
「ところが、御奉行さま、なかなかしっかりした小僧で、わけのない金はなかなか取ろうと致しませんので、手こずりました。そのうち、母親が死んだとかで、京橋《きょうばし》の方の店に奉公したようでございます」
「左様か。長吉、まだその外にあるだろう、そちは人命を助けたことがないか……」
 と越前は、やや前かがみになって訊いた。
 長吉は、しばらく考えていたが、
「……そうおっしゃるとございました。古いことでつい忘れて居りました。もう五年前、私が盗みを始めた頃でございます。両国橋《りょうごくばし》の上で、身投げをしようとする老人を助けました」
「うむ」
「何でも、村の貧しいお百姓達が、御年貢を収めないので、庄屋殿が入牢《じゅろう》している。それを救い出すために、村中が五十両と
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