こうかい》君以下王妃|宮嬪《きゅうひん》数十人、李山海、柳成竜等百余人に護《まも》られて、遠く蒙塵《もうじん》する事になった。四月二十九日の午前二時、士民の哀号の声の中を西大門を出たのである。
行長、清正の二軍は、忠州に相会した後再び路を分って進み、五月二日の夕方に清正は南大門から、行長は東大門から京城に入城した。京城附近の漢江に清正行き着いた時、河幅三四町に及ぶが、橋が無いので渡れない。対岸を望むと船が多く繋《つな》いであるが、敵の伏勢が居ないとも限らない。清正|暫《しばら》く眺めて居たが、『鴎《かもめ》が浮んで居る処を見ると敵軍既に逃げたと覚える、誰か泳いで彼の船を漕ぎ来《きた》る者ぞ』と云った。従士曾根孫六進んで水に入り、一隻を漕ぎ還ったので、次々に船を拉《らっ》し来って全軍を渡す事が出来た。清正は更に開城を経た後大陸を横断して西海岸に出で、海汀倉《かいていそう》に大勝し長駆|豆満江《とまんこう》辺の会寧に至った。此処で先の臨海君順和君の二王子を虜《とりこ》にした。まだそれで満足しなかったと見えて兀良哈《おらんかい》征伐をやって居る。兀良哈は今の間島地方に住んで居る種族で、朝鮮
前へ
次へ
全29ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング