《いたずら》に退く時は逃げたるに当るべし。是非茲は一ト合戦致し退かでは叶わぬ所なり。と云って全軍にて戦わば、大勢退き難からん。明日の合戦は拙者致すべく、その間に人数を繰引《くりひか》せられよ、随分一ト合戦致すべし」と云って、殿《しんが》り戦を引き受けて大勝したのが、碧蹄館の戦である。此の時の隆景の勇姿は摩利支天《まりしてん》の如くであったと云われている。
 隆景に賛成したのが宗茂で、相共に奮戦したのである。加藤清正、安辺に在り、日本軍京城の大勝を聞いて、先陣は必ず立花ならんと云ったが、果してそうであった。
 この戦いの容子から考えて、日本軍の不統一が分るわけで、京城在城の諸軍隆景と宗茂だけよく日本のために万丈の気を吐いたわけである。
 ある日、秀吉が諸大老と朝鮮の事を議しているとき、黒田如水壁越しに、秀吉の耳に入るように放言して曰く、「去年大軍を朝鮮に遣わされしとき、家康か利家か、でなくば軍《いくさ》の道を知りたる拙者を遣わさるれば、軍法定まりて滞りあるまじく、朝鮮人安堵して日本に帰順し、明を征伐せんこと安かるべし。然るを加藤小西|若《ごと》き大将なれば血気の勇のみにて、仕置《しおき》
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