いがある。朝鮮役の前役即ち文禄の役中に於ては、この二つが最も大きい戦争であった。碧蹄の敗後は、明の意気全く衰えて、間もなく媾和の事がもち上ったのである。日本軍も長い間の戦闘で可なり弱っても居るので、秀吉は一先ず大部隊を帰国せしめた。媾和の交渉は色々曲折があるが、明使、「爾《なんじ》を封《ほう》じて日本国王と為す」の国書を齎《もたら》した為、秀吉を怒らしむることになり、媾和も全く破れて再度の朝鮮出兵が起る。これが慶長の役で、加藤清正の蔚山《うるさん》籠城なぞはこの時の事である。
碧蹄館の戦いの主動者は、小早川隆景と立花宗茂の二人であることはまえの通りであるが、此の時京城の日本軍は糧食尽き、三奉行を初め諸将退却の止むを得ざるを知りながら、口先では強がりを云っていたのである。軍議区々であったが、隆景は病と称して評議の席に出でず、いよいよ糧尽くる頃を見計いて、軍議の席に出て、「日本勢此都にて餓死しても後来日本のお為にはならず、退却こそ然るべし」と云ったので、諸将皆隆景説に一致した。その時隆景又曰く、「と云って、仔細なく此都を引き取るべしと思わるるは不覚なり。明人大勢にて押し寄するを知りて、徒
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