のはその日の暮方で明国朝鮮連合軍の首を斬ること六千余級であると云う。碧蹄館の戦即ちこれである。
さて大敗を喫した李如松は開城に退いて明朝へ上奏文を送ったが、その中に曰く、
「賊兵の都に在る者二十余万衆寡敵せず、且臣|病《やまい》甚し、他人を以て其任に代えんことを請う」と。今でもそうだが、工合が悪くなったから、病気辞職をしようと云うわけだ。
朝鮮の忠臣柳成竜は之を見て、二十万なぞとは嘘だと云うと、「汝が国人がそう告げたのだから、事実は乃公《おれ》の知った事じゃない」と云った。時に兵糧欠乏を告げる者があったが如松は成竜の責任であるとして、之を廷下に跪《ひざまず》かしめ、軍法を以って処分しようと怒った。いやしくも一国の廟臣に対して侮辱もまた甚しいわけである。成竜は大事の前の小事と忍んで陳謝したが、国事のついに茲にまで至った事を思うと、覚えず流涕せざるを得なかったと云う。
愈々《いよいよ》加藤清正咸鏡道より将に平壌を襲わんとして居るとの流言を聞くや、如松はこれをよい口実として、成竜の切願をも斥《しりぞ》けて聞城から平壌へと退いて再び南下しようとはしなかった。
碧蹄戦後に晉州城攻略の戦
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