門以下手負死人二百余に及んで居る。折から隆景の先手の兵が来たので宗茂は、一先ず部隊を引まとめて小丸山に息をつぎ、隆景旗下粟屋四郎兵衛|景雄《かげお》、井上五郎兵衛景貞の六千の新手に正面の明軍を譲った。明軍の進撃の有様を書いたものに、
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「敵の人数色黒み備|閑《しず》かにして勢い殊之外《ことのほか》見事也。間近になると拍子を揃え太鼓を鳴らし大筒を打立《うちたて》黒烟を立てて押寄す」
[#ここで字下げ終わり」]
とある。相当なものである。また、
「馬の大きさはけしからず候。男もけしからず大きく候。上方衆(日本軍のこと)もけしからず怪《お》じ入り候也」とある。だから、日本軍も勢い死戦する外はないのである。隆景の先鋒粟屋井上の両人は、両軍を一つに合して当ろうかと相談した。隆景の士、佐世勘兵衛正勝はその儀然るべからずと諫《いさ》めたから、四郎兵衛は左に、五郎兵衛は右に備を立てて対陣し、大筒小筒を打合ったが、四郎兵衛の手の内|三吉《みよし》太郎左衛門元高の旗持が弾に中って倒れた。其他の旗持之を見て騒いだから、明軍望み見て鬨を挙げて攻め押せた。三千の日本
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