鋒として、自ら二万を率いて出動した。大谷吉継が予見したように、臨津江の氷は半ば融けかかって居たので、柳成竜工夫して葛《かずら》をもって橋をかけたので、大軍間もなく坡州に入った。
 京城の日本軍では、いよいよ明軍来が確《たしか》になったので、誰を先手の将とするか詮議|区々《まちまち》である。隆景進み出て云う様、この大役は立花左近将監宗茂こそ適役である。嘗つて某の父元就四万騎をもって大友修理大夫|義鎮《よししず》の三万騎を九州|多々良浜《たたらがはま》に七度まで打破った時に、この宗茂の父伯耆守、僅か二三千騎をもって働き、ついに大友の勝利に導いた事がある。その武将の子である宗茂及びその一党、皆覚えあるものと思う、宗茂が三千は余人の一万に当るであろうと推挙するので、諸将尤もとして宗茂を先陣と定めた。若輩の宗茂は、歴々満座の中に面目をほどこして我陣屋へ帰ると、宗徒《むねと》の面々を呼び集めて、十死一生の働きすべく覚悟を定めた。第一陣はこの宗茂、並びに弟高橋直正以下三千である。第二陣は、隆景旗下八千の兵、第三隊は小早川|秀包《ひでかね》、毛利元康、筑紫広門等五千、第四陣は吉川広家が四千の兵。総勢二
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