(黙ってうなずく)……。
九郎助 お前が俺に入れてくれるとして、あとの一枚だ。俺、この一枚をとるためには、片腕でも捨てたいのだが。
弥助 冗談いっちゃいけねえ! そう思いつめなくとも大丈夫だよ。喜蔵だって、お前に入れねえものじゃねえよ。
九郎助 あいつは、俺とこの頃仲がいいからなあ! あと一枚だ。あ、あと一枚だ。(じっと腕をくむ)
(水を飲みに行った人々、どやどやと帰って来る)
喜蔵 あんなにぎりめしを、もう十五、六食いていや。
浅太郎 あれでも、一時の虫抑えにはありがたい。さあめしはすんだ。入れ札を早くやってもらおうか。
喜蔵 心得た。
(彼は、懐中より懐紙を出し、脇差をぬいて幾片かに切断する。みんなに一枚ずつ渡す)
喜蔵 矢立の筆は、一本しかねえぞ。なるべく早く書いて回してくれ。書いたやつは、小さく折って、この割籠《わりご》の中に入れてくれ。
忠次 札の多い者から三人だぜ。
十蔵 ええ承知しました。
喜蔵 十蔵、お前からかけ!
(十蔵に筆を渡す。めいめいつぎつぎ筆を借りて書く。弥助書き終え九郎助に近よりて)
弥助 そら兄い、筆をやるぜ。
(弥助、約束したるごとくにっこり笑う)
九郎助 ありがてえ。
(九郎助筆を取る。煩悩の情ありありと顔に浮かび、しばらく考え込む)
浅太郎 おい、爺さん。早く筆を回してくんねえか。
九郎助 何だと!
浅太郎 考えるなら、筆をほかへ回してくれ!
九郎助 黙っていろ、いらねえ口をたたくなよ!
(九郎助、憤然として筆を下ろす)
才助 爺さん、俺にかしてくれ。
九郎助 ほら。(筆を投げる)
(才助、それを受取り、弥助のそばへ行く)
才助 なあ、弥助兄い! 字を教えてくれ。
弥助 教えてやる! 何という字だ。
才助 (弥助の耳のそばで何かささやく)――。
弥助 よし、こう書くんだ。(指先で、才助の持っている紙面の上に書いてやる)
才助 分かった。ありがてえ。
(みんな、つぎつぎに書き終える)
喜蔵 さあ、みんな書いたか。まだ書かねえ人はねえか。(周囲を見回す) よし、みんな書いたのだな。親分、みんな書きました。
忠次 われ、読み上げてみねえ。
喜蔵 よし、合点だ。
(皆は、緊張して目をかがやかし、壼皿を見つめるような目付で、喜蔵の手元を睨んでいる)
喜蔵 (折った紙片
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