の形を付けてみたりする。ようやく座敷に来る。障子を開けて、人はおらぬかと確かめた後静かにはいる。懐中から書抜きを取出す。
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藤十郎 (書抜きを読みながら形を付けてみる)かくなり果つるからは、たとい水火の苦しみも……。(工夫付かざるごとく、書抜きを投げ出して考え始める。立って女の手を取るごとき形をしてみる。また書抜きを開いてじっと見詰める)死出三|途《ず》の道なりとも、御身とならば厭わばこそ……(また絶望したるごとく、書抜きを投げ捨てて頭を抱えて沈思する。気を更えて立ち上り、無言にて動いてみる。工夫ついに付かざるごとく、後へ手を突いて座りながら、低い嘆息の言葉をもらす。とうとう工夫を一時中止したるごとく、床の間に置いてあった脇息を手を延ばして取り、それに右の肱をもたせながら、身を横にする)
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(しばらく何事もない。母屋の大広間で打っている鼓の音や、太鼓の音などが、微かに聞えてくる。藤十郎は、静かに目を閉じる。ふと廊下に人の足音が聞える。藤十郎は、ちょっと目を開き、また書抜きを顔に当て、寝た振りをしてしまう。廊下に現れたのは、宗清の女房お梶である。足早に近づくと、何の会釈もなく障子を開ける。藤十郎の姿を見て駭《おどろ》く。)
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お梶 あれ、藤様《とうさま》でござりましたか。いかい粗相をいたしました。御免下さりませ。(すぐ去ろうとする。ふと、気が付いたるごとく)ほんとに女子供の気の付かぬ。このように冷える所で、そうしてござっては、御風邪など召すとわるい、どれ、私が夜の具《もの》をかけて進ぜましょう。(部屋の片隅の押入れから夜具を出そうとする)
藤十郎 (宗清の女房であると知ると、起き直って居ずまいを正しながら)おおこれは、御内儀でありましたか。いかい御造作じゃのう。
お梶 何の造作でござりましょう。さあ横になってお休みなさりませ。
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(藤十郎はふと、お梶の顔を見る。色のくっきりと白い細面に、眉の跡が美しい。最初は恍然としていた藤十郎の瞳が、だんだん険しく険しくなってくる。お梶は、藤十郎の不思議な緊張に、少しも気付かぬように、羽二重の夜具を藤十郎の背後からふうわりと着せる)
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お梶 さあ、お休みなさりませ。あっちへ行ったら、女どもに水なと運ばせましょうわいな。(何気なく去ろうとする)
藤十郎 (瞳がだんだん光って来る。お梶の去るのを、じっと見ていたが、急に思い付いたように後から呼びかける)お梶どの。お梶どの。ちと待たせられい。
お梶 (ちょっと駭いたが、しかし無邪気に)なんぞ御用があってか。(と座る)
藤十郎 (夜具を後へ押しやりながら)ちと、御意《ぎょい》を得たいことがあるほどに、もう少し近く来てたもらぬか。
お梶 (少し不安を感じたるごとく、もじもじし、あまり近よらない。やはり無邪気に)改まってなんの用ぞいのう。おほほほほほ。
藤十郎 (低いけれども、力強い声で)ちと、そなたに聞いてもらいたい子細があるのじゃ。もう少し、近う進んでたもれ。
お梶 藤様《とうさま》としたことが、また真面目な顔をしてなんぞ、てんごうでもいうのじゃろう。(いざり寄りながら)こう進んだが、なんの用ぞいのう。
藤十郎 (全く真面目になって)お梶どの、今日は藤十郎の懺悔《ざんげ》を聴いて下されませぬか。この藤十郎は二十年来、そなたに隠していたことがあるのじゃ。それを今日はぜひにも聴いてもらいたいのじゃ、思い出せば古いことじゃ、そなたが十六で、われらが二十の歳の秋じゃったが、祇園祭の折に、河原の掛小屋で、二人一緒に連舞《つれまい》を舞うたことがあるのを、よもや忘れはしやるまいなあ。(じっとお梶の顔を見詰める)
お梶 (昔を想うごとく、やや恍然として)ほんにあの折はのう。
藤十郎 われらがそなたを見たのは、あの時が初めてじゃ。宮川町の唄女のお梶どのといえば、いかに美しい若女形でも、足元にも及ぶまいと、かねがね人々の噂には聞いていたが、始めて見れば聞きしに勝るそなたの美しさじゃ。器量自慢であったこの藤十郎さえ、そなたと連れて舞うのは、身が退けるほどに、思うたのじゃ……。(じっと、さし俯《うつむ》く)
お梶 (顔を火のごとく赤くしながら、さし俯いて言葉なし)
藤十郎 (必死に緊張しながら)その時からじゃ、そなたを、世にも希なる美しい人じゃと思い染めたのは。
お梶 (さし俯きながら、いよいようなだれて、身体をかすかに、わななかせる)……。
藤十郎 (恋をする男とは、どうしても受取れぬほどの澄んだ冷たい目付きで、顔さえも
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