たげぬ女を、刺し通すほどに鋭く見詰めながら、声だけには、激しい熱情に震えているような響きを持たせて)そなたを見初めた当座は、折があらばいい寄ろうと、始終念じてはいたものの、若衆方の身は、親方の掟が厳しゅうてなあ。寸時も己が心には、委せぬ身体じゃ。ただ心だけは、焼くように思い焦がれても、所詮は機を待つよりほかはないと、思い諦めている内に、二十の声を聞かずに、そなたはこの家の主人、清兵衛どのの思われ人となってしまわれた。その折われらが無念は、今思い出しても、この胸が張り裂くるように、苦しゅうおじゃるわ。(こういいながら、藤十郎は座にも堪えぬげに身悶えをして見せる。が、彼の二つの瞳だけは爛々たる冷たい光を放って、女の息づかいから様子を恐ろしきまでに、見詰めている)
お梶 (やや落着いたごとく、顔を半ば上げる。一旦、蒼ざめ切ってしまった顔が、反動的にだんだん薄赤くなっている。二つの瞳は火のごとく凄じい)……。
藤十郎 (言葉だけは熱情に震えて)人妻になったそなたを、恋い慕うのは、人間の道ではないと心で強う制統しても、止まらぬは凡夫の思いじゃ。そなたの噂をきくにつけ、面影を見るにつけ、二十年のその間、そなたのことを、忘れた日はただ一日もおじゃらぬのじゃ。(彼は舞台上の演技にも、打ち勝つほどの巧みな所作を見せながら、しかも人妻をかき口説く恐怖と不安を交えながら、小鳥のごとく竦《すく》んでいる女の方に詰めよせる)が、この藤十郎も、たとい色好みといわるるとも、人妻に恋しかけるような非道なことはなすまじいと、明暮燃えさかる心を、じっと抑えて来たのじゃが、われらも今年四十五じゃ。人間の定命《じょうみょう》はもう近い。これほどの恋を……二十年来忍びに忍んだこれほどの恋を、この世で一言も打ち明けいで、いつの世誰にか語るべきと、思うにつけても、物狂おしゅうなるまでに、心が乱れ申してかくの有様じゃ。のう、お梶どの、藤十郎をあわれと思召さば、たった一|言《こと》情ある言葉を。なあ! お梶どの。(狂うごとく身悶えしながら、女の近くへ身をすり寄せる。が、瞳だけは刃のように澄み切っている)
お梶 わ……っ。(といったまま泣き伏してしまう)
藤十郎 (泣き伏したお梶を、じっと見詰めている。その唇のあたりは、冷たい表情が浮かんでいる。が、それにも拘らず、声と動作とは、恋に狂うた男に適わしい熱情を持っている)のうお梶どの。そなたは、藤十郎の嘘偽りのない本心を、聴かれて、藤十郎の恋を、あわれと思わぬか。二十年来、忍びに忍んで来た恋を、あわれとは思《おぼ》さぬか。さりとは、強いお人じゃのう。
お梶 (すすり泣くのみにて答えず)……。
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(二人ともおし黙ったままで、しばらくは時刻が移る。灯を慕って来た千鳥の、銀の鋏を使うような声が、手に取るように聞えて来る)
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藤十郎 (自嘲するがごとく、淋しく笑って)これは、いかい粗相を申しました。が、この藤十郎の切ない恋を情《つれ》なくなさるとは、さても気強いお人じゃのう。舞台の上の色事では、日本無双の藤十郎も、そなたにかかっては、たわいものう振られ申したわ。ははははははは。
お梶 (ふと顔を上げる。必死な顔色になる。低い消え入るような声で)それでは藤様、今おっしゃったことは皆本心かいな。
藤十郎 (さすがに必死な蒼白な面をしながら)なんの、てんごうをいうてなるものか。人妻に言寄るからは命を投げ出しての恋じゃ。(浮腰になっている。彼の膝が、微かに震える)
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(必死の覚悟を定めたらしいお梶は、火のような瞳で、男の顔を一目見ると、いきなりそばの絹行灯の灯を、フッと吹き消してしまう。闇のうちに恐ろしい躊躇と沈黙が、二人の間にある。お梶は身体を、わなわな震わせながら、男の近づくのを待っている。藤十郎の目が上ずってしまって、足がかすかに震える。ようやく立ち上るとお梶の方へ歩みよる。お梶必死になるが、藤十郎は、そのそばをするりと通りぬけて、手探りに廊下へ出る)
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お梶 (男の去らんとするに、気が付いて)藤様《とうさま》! 藤様!(と低く呼びながら、追い縋《すが》ろうとする)
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(藤十郎、お梶の追うのに気付いて、背後の障子を閉める。お梶障子に縋り付いたまま身を悶えつつ泣き崩れる。藤十郎やや狼狽しながら、獣のごとく早足に逃げ去る。お梶の泣く声に交じるように千鳥の声が聞える)
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          第三場

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第二場より七日ばかり過ぎたる一日。都万太夫座の楽屋。上手に役者たちの部屋部屋の入口が見える。その
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