うと云う気を起さなかったのである。
 こうした藤十郎の心に、怖《おそ》ろしい警鐘は到頭伝えられたのだ。「また何時もながら伊左衛門か、藤十郎どのの紙衣姿は、もう幾度見たか、数えきれぬ程じゃ」と、云う巷《ちまた》の評判は、藤十郎に取っては致命的な言葉であった。彼が、怖れたのは七三郎と云う敵ではなかった。彼の大敵は、彼自身の芸が行き詰まっていることである。今までは、比較される物のない為に、彼の芸が行き詰まっている事が、無智な見物には分らなかったのである。彼は、七三郎の巴之丞を見た時に、傾城買の世界とは、丸きり違った新しい世界が、舞台の上に、浮き出されている事を感じない訳には、行かなかった。ただ浮ついた根も葉もないような傾城買の狂言とは違うて、一歩深く人の心の裡に踏み入った世界が、舞台の上に展開されて来るのを認めない訳には行かなかった。見物は、傾城買の狂言から、たわいもなく七三郎の舞台へ、惹《ひ》き付けられて行った。が、藤十郎は、見物のたわいもない妄動《もうどう》の裡に、深い尤《もっと》もな理由のあるのを、看取しない訳には行かなかったのである。
 小手先の芸の問題ではなかった。彼は、もっと深い大切なところで、若輩の七三郎に一足取残されようとしたのである。七三郎の巴之丞が、洛中《らくちゅう》洛外の人気を唆《そそ》って、弥生狂言をも、同じ芸題《だしもの》で打ち続けると云う噂を聞きながら、藤十郎は烈しい焦躁《しょうそう》と不安の胸を抑えて、じっと思案の手を拱《こま》ぬいたのである。その時に、ふと彼の心に浮んだのは、浪華《なにわ》に住んでいる近松門左衛門の事であった。

        四

 それは、二月のある宵であった。四条|中東《ちゅうとう》の京の端、鴨川《かもがわ》の流近く瀬鳴《せなり》の音が、手に取って聞えるような茶屋|宗清《むねせい》の大広間で、万太夫座の弥生狂言の顔つなぎの宴が開かれていた。
 広間の中央、床柱を背にして、銀燭《ぎんしょく》の光を真向に浴びながら、どんすの鏡蒲団《かがみぶとん》の上に、悠《ゆ》ったりと坐り、心持|脇息《きょうそく》に身を靠《もた》せているのは、坂田藤十郎であった。茶せん[#「せん」に傍点]に結った色白の面は、四十を越した男とは、思われぬ程の美しさに輝いて見えた。下には鼠縮緬《ねずみちりめん》の引《ひっ》かえしを着、上には黒|羽二重《はぶ
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