つ》した。彼は、団十郎が一流編み出したと云う荒事を見て、何と云う粗野な興ざめた芸だろうと思って、彼の腹心の弟子の山下京右衛門が、
「太夫《たゆう》様、団十郎の芸をいかが思召《おぼしめ》さる、江戸自慢の荒事とやらをどう思召さる」と訊《き》いた時、彼は慎《つつ》ましやかな苦笑を洩《もら》しながら「実事《じつごと》の奥義の解せぬ人達のする事じゃ。また実事の面白さの解せぬ人達の見る芝居じゃ」と、一言の下に貶《けな》し去った。が今度の七三郎に対しては、才牛をあしろうたようには行かなかった。

        三

 と、云って藤十郎は、妄《むげ》に七三郎を恐れているのではない。もとより、団十郎の幼稚な児騙《ちごだま》しにも似た荒事とは違うて、人間の真実な動作《しうち》をさながらに、模《うつ》している七三郎の芸を十分に尊敬もすれば、恐れもした。が、藤十郎は芸能と云う点からだけでは、自分が七三郎に微塵《みじん》も劣らないばかりでなく、寧《むし》ろ右際勝《みぎわまさ》りであることを十分に信じた。従って、今まで足り満ちていた藤十郎の心に不安な空虚と不快な動揺とを植え付けたのは、七三郎との対抗などと云う事よりも、もっと深いもっと本質的なある物であった。
 彼は、二十の年から四十幾つと云う今まで、何の不安もなしに、濡事師《ぬれごとし》に扮《ふん》して来た。そして、藤十郎の傾城買《けいせいかい》と云えば、竜骨車《りゅうこしゃ》にたよる里の童にさえも、聞えている。また京の三座見物達も藤十郎の傾城買の狂言と言えば、何時もながら惜し気もない喝采《かっさい》を送っていた。彼が、伊左衛門の紙衣姿《かみこすがた》になりさえすれば、見物はたわいもなく喝采した。少しでも客足が薄くなると、彼は定まって、伊左衛門に扮した。しかも、彼の伊左衛門役は、トラムプの切札か何かのように、多くの見物と喝采とを、藤十郎に保証するのであった。
 が、彼は心の裡《うち》で、何時《いつ》となしに、自分の芸に対する不安を感じていた。いつも、同じような役に扮して、舌たるい傾城を相手の台詞《せりふ》を云うことが、彼の心の中に、ぼんやりとした不快を起すことが度《たび》重なるようになっていた。が、彼は未《ま》だいいだろう、未だいいだろうと思いながら一日延ばしのように、自分の仕馴《しな》れた喝采を獲《う》るに極《きま》った狂言から、脱け出そ
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