たのじゃないか』
若者は、首を横に、微かに動かしました。
『じゃ、そんな覚えはないというんだね。女が喉を突くとき、お前の手は女の身体に触れていなかったというのかい』
『いいえ。二人抱き合って』
僕は心のうちで、『しめた!』と叫びました。
『二人抱き合って、うむ。先刻は、そんなことはいわなかったようだね。なるほど、二人抱き合って』
『二人一緒に抱き合って、女が喉を突くと、一緒に転《ころ》げたのです。それで、血が出たから押さえてやろうとしたのです』
『なるほど、お前のいうことは、だんだん本当に近くなってきたじゃないか。が、もう少し本当でなければいかん。もう少しのところだ。もう少し本当にいえばいいのだ』
『それで、女がもがいて、手で喉を掻きむしったのです』
『なるほどな。それで、掻き傷ができたというのだな。そんなこともあることだから、それも本当にとれる。だけど、お前よう考えてみるがいいぞ。普通の女というものは気の弱い人間だぜ。鬼神のお松というような毒婦だとか、乃木大将の夫人などという女丈夫なら、そら一突きで見事に死ぬかも知れん、が、あの女のような身体の弱い女に、そんなことができるかできん
前へ
次へ
全31ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング