各村庄屋の寄合の席で持ち出される。大矢野島と島原との間に湯島と云う小島があるが、宗徒等は此処に秘密のアジトを置き、天草島原の両地方の人々が来り会して、策謀を凝《こら》した。後世談合島と称される所以《ゆえん》である。
島原の南有馬村庄屋治右衛門の弟に角蔵なる者があり、北有馬村の百姓三吉と共に、熱烈な信者であった。彼等の父は嘗つて藩の宗門改めに会って斬られた者達であるが、角蔵、三吉は各々の父の髑髏《どくろ》と天主像を秘かに拝して居たのを、此頃に至って公然と衆人に示して、勧説《かんぜい》するに至った。立ち所に帰する者七百人に及んだが、領内の不穏を察して居た有馬藩では、之が逮捕に、松田兵右衛門以下二十五人をして、船に乗じて赴かしめた。両名の妻子共々に捕えた時に、三吉は角蔵に向って「自分が身を以って教に殉ずるのは、固《もと》から願う処だ。しかし五歳の男児と三歳の女児の未だ教の何たるかを知らない者まで連座するのを見ると涙がこぼれる」と云うと、角蔵は、「何と云う事を云われる。我等両人世々教に殉ずる事になったわけで、生前の栄《はえ》、死後の寵何の之に加えるものがあろう」と答え笑って縛に就いた。たまた
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