は容易にこれらの流言を信ずるに至った。そこで松右衛門は好次と謀《はか》って、四郎をもって天帝|降《くだ》す処の天章と為し、大矢野島宮津に道場を開き法を説いた。来り会する老若男女は、威風|傍《かたわら》を払い、諄々《じゅんじゅん》として説法する美少年の風姿に、まずその眼を瞠《みは》ったに相違ない。その上彼等が尊敬し来った長老達が、四郎を礼拝する有様を見ては、驚異の念は次第に絶大の尊崇に変った。更に四郎が不思議の神通力を現すと云う噂は、門徒の信心を強め、新たに宗門に投ずる者を次第に増さしめた。四郎天を仰いで念ずると鳩が飛んで来て四郎の掌上に卵を産み、卵の中から天主の画像と聖書を出したとか、一人の狂女が来ったのに四郎|肯《うなず》くと忽ちに正気に還ったとか、またある時には、道場に来て四郎を罵《ののし》る者があったが、其場に唖《おし》となり躄《いざり》となった、などと云う。こうして宗教的熱情は高まり物情次第に騒然となって来た。
「領主板倉氏の宗徒への圧迫と課役の苛酷さとは、平時も堪えがたし。今年の凶作をもって、如何にして之に堪えてゆかれよう。今は非常手段に訴えるより途はなかろう」この様な論議が
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