人心離反して次第に動揺し、流言|蜚語《ひご》また盛んに飛んだ。――病身がちであった将軍家光は既に薨《こう》じているが、未だ喪を発しないのだとか、この冬には両肥の国に兵革疫病が起って、ただ天主を信ずる者|丈《だけ》が身を全うし得るであろうとか、紛々たる流言である。四郎時貞が父と共に住居して居る大矢野島に並んだ千束島に、大矢野松右衛門、千束善右衛門、大江源右衛門、森宗意、山善左衛門と云う五人の宗門長老の者達が居た。これ等はこの島に隠れる事二十六年、熱心な伝道者であったが、嘗《か》つては益田好次同様豊臣の恩顧を受けた者である。
この年の夏彼等は人心の動揺に乗じて、「慶長の頃天草|上津浦《かみつうら》の一|伴天連《ばてれん》が、国禁によって国外へ追放された時の遺言に、今より後二十六年、天帝天をして東西の雲を焦さしめ、地をして不時の花を咲かしめるであろう。国郡騒動して人民困窮するけれども、天帝は二八の天章をこの地に下し、宗門の威を以って救うであろうとあるが、今年は正にその時に当る」と流言を放った。丁度この夏は干魃《かんばつ》で烈日雲を照し、島原では深江村を始め時ならぬ桜が開いたりしたから、人民
前へ
次へ
全34ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング