ま三吉の家で礼拝して居た男女が七十余人あったが、角蔵、三吉両家の者を始め、主謀者と認《みな》された者等|総《すべ》て十六人が、藩船に乗せられて折柄暮れようとする海へ去るのを見送って、「自分等も早晩刑を受ける事であろう。今はただ相共に天国に見《まみ》えん事を待つのみである」と呼ばわりながら、見送った。これは十月二十二日の事であるが、その翌二十三日、有江村の郷士佐志木作右衛門の邸《やしき》に信徒が集って居るのを耳にした代官林兵右衛門は単身乗り込んで、天主の画像を奪い破り、竈《かまど》に投じた。忍従の信徒達もこれを見ては起たざるを得なかったのであろう。座に在った四十五人は等しく耒耜《らいし》を採って、兵右衛門を打ち殺して仕舞った。ここに於て佐志木作右衛門は、千束島の山善左衛門等と図《はか》ったが、結局|坐《い》ながら藩兵に攻められるより兵を挙ぐるに如《し》かずとなった。
「天主の教を奉じての事故《ことゆえ》日本全土を敵とするも懼《おそ》るるに当らない。況《いわ》んや九州の辺土をや。事成らばよし、成らずば一族天に昇るまでの事だ」聞く者皆唯々として従ったので、挙兵の檄文《げきぶん》は忽ちに加津佐
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