座候事。
一、我等ども此《かく》の如きの身上に罷り成り、右の通り申し遣し候事、相果て候を迷惑に存じ申入る様に思召され御心中御恥しく存じ候。ゆめ/\左様にては御座なく候。(中略)城中より出で申し度しと申す者ども御出し候はゞ、御断りを申し城中へ参り、一処に相果て申す可く候。(後略)
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 言々誠意の溢れるのを見る事が出来る。この手紙と同時に、四郎の母と姉からも、城中の甚兵衛、四郎宛に、同趣旨の手紙を送って居る。四郎の母は法名をマルタと称し、四郎旗挙げに際して、熊本藩の手に捕われたのだが、母の為に臆するなく存分に働けと四郎へ云い送った程の女丈夫である。
 しかし事ここに至っては肉身の情に打ち勝ち難かったものと見える。
 この二つの手紙の返事は即日城内より齎された。それには「各々御存知の如く他宗の者を無理に切利支丹にして居る事は無い。満城の衆みな身命を天主に捧げる覚悟までである」
 と書かれてあった。
 事実城を抜けた者は三万人中前後数名に過ぎず、信仰の力は、天下の勢を前にして懼れなかったのである。
 この後信綱自ら四郎へ、降伏すべき手紙を送ったが、四郎の返書には、松倉氏
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