る。
 さて期日の二十五日も、その翌日も雨なので、攻撃を延期して居る中、二十七日の昼頃、突然鍋島の一隊が命を待たずして攻撃に移った旨を、本営に告げる者があった。信綱楼に昇って望むと告ぐるが如くである。「火を挙ぐるを見て起き、鐘を聴いて飯し、鼓《つづみ》を聴いて進み、貝を聴いて戦え」と云う軍令も今は無駄になった。信綱即ち、直ちに全軍に進撃を命じた。
 先駆けを試みた鍋島勢を目付して居るのは榊原職充であるが、総攻撃令近づくや先登したくて堪《たま》らず、鍋島勝茂に向って、「公等は皆陣を布いて柵を設けて居る。我等は軍目付の故をもって寸尺の地もないが、愚息|職信《よりのぶ》始め従士をして柵を結ぶ事を学ばしめたいから」と云って割込んで仕舞った。職信年十七の若武者で秘かに従士七八人と共に、城の柵を越えて入った。見覚えのある上に赤の布に白い餅の指物が、城を乗り越えて行くのを見て、流石の職充も驚いた。直ちに白に赤い丸二つの指物がその後を追う事になる。
 一番驚いたのは鍋島勢である。信綱の命を伝うべき軍目付親子が敵城へ乗入れたのだから、今はとかくの場合ではないと、軍勢一同に動いて、鍋島勝茂の上白《うえしろ》下黒筋違いの旗も、さっと前へ進んだ。鍋島勢が信綱の命に反して先駆したのではなくて、軍目付自ら軍律に反した始末なのである。
 この職充は平常士を好んで、嘗つて加藤清正、福島正則等、国を除かれ家を断たれた時、その浪士数十人を引取った程である。この時の戦いにこの浪士達が日頃の恩顧を報じて功を立てて居る。
 水野勝成は、鍋島先登の事を聞くや、五千の軍を整えて、子勝俊の来るのを待った。
 勝俊白馬に乗り、金の旗掲げて来ると、五千の兵勇躍して進んだ。
 勝俊は馬上に叱咤《しった》して、
「鍋島勢を排して進め」と命じた。
 城外の地勢険阻な処に来ると、馬を棄てて子の伊織十四歳になるのを伴って進んだ。激戦なので、掲げる金の旗印が悉く折れ破れた。旗奉行神谷|杢之丞《もくのじょう》、漸く金の旗を繕って、近藤兄弟をして、崖を登って掲げしめた。
 城外に在った勝成は、
「大阪の役に児子の功を樹《た》てた事があったが、今日児孫の先登を見る」と云って涙を流して喜んだ。
 細川越中守忠利は、地白、上に紺の九曜の紋ある旗を掲げ、狸々緋《しょうじょうひ》の二本しないの馬印を立て、黒白段々の馬印従えた肥後守光利と共に、
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