三の丸前門を攻撃した。
先鋒の部将長岡式部、城中に烟が起るのを見て、直ちに前門に進撃した。
奥野伝右衛門なる士が刀を揮って門を破り開いた。前兵悉く城内へ行ったが、城の部将大塚四郎兵衛、相津左兵衛三千五百の人数で門を守って居るのと衝突した。西門を、有江掃部五百で守って居たのが、式部を見て、槍を並べて突出した。武部の軍奮戦して斥け、逃げるのを追った。
黒田忠之、同長興、同隆政は、大江門を目指して進んだが、忠之は余り急いだので甲を着けて居る暇がない。老臣黒田|睡鴎《すいおう》追い付いて諫めたので、鎧は着けたが、猶|冑《かぶと》を冠らない。
冑を冠ると左右が見えない等《など》と理屈を云い乍ら進むと、城の部将本渡の但馬五千を以て逆襲し、その勢いは猛烈である。
為に黒田勢三百余忽ち討たれて少しく郤《しりぞ》くのを、忠之怒って、中白|上下《うえした》に紺、下に組みの紋ある旗を進め励ます。睡鴎は然るに自若として牀に坐して動こうとしない。
忠之、「如水公の時屡々武功あったと云うが老耄《おいぼ》れたのか」と罵って之を斬ろうとする処に弟隆政現れて漸く止めた。睡鴎暫く四方を観望して居たが、忽ち大喝《たいかつ》して軍を進めついに大江門を抜いた。
もう此頃には、三の丸池尻門辺に、上白下黒白黒の釘貫《くぎぬき》の旗や、白い鳥毛《とりげ》二つ、団子の馬印が立てられて、有馬|豊氏《とようじ》、同忠郷の占拠を示し、三の丸田尻門辺には立花忠茂の上白下黒、黒の処に紋ある旗や、松倉重次の黒に中朱筋一つの旗が眺められた。
二の丸辺に、熊毛二段の団子、下に金の団子の馬印が動くのは、寺沢忠高が乗り込んで居るからであり、その後に、赤い旗が進むのは、小笠原忠政、同長次が進みつつあるからである。
信綱の子輝綱は、従士十数名と共に、馬印も掲げず秘かに城へ向うを、地白紋登りはしごの総帥旗の下に、地白紋赤き丸三つの旗掲げた戸田氏鉄と共に、本営に指揮して居る信綱に見付かった。信綱軍令に反すとなして、酒井三十郎を遣《や》って止めるが聴かない。岩上《いわかみ》角之助行って、鎧の袖を掴んで放さないので、輝綱は怒って斬ろうとした。角之助は、敵手に斃れんより公の手に死なんと云って猶も放さない。遂いに止められた。
信綱は徒らに兵を損ずるを憂えて、諸軍に令して、各々占拠の地に陣を取り、夜明けを待つことを命じた。
陣中の
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