落して、父のステッキを持っている手の甲に、犬のように頬を押しつけた。それが、新子には愛らしく無邪気に見えた。
やがて、草原の末に、ベイカリの屋根が見えると、兄妹は駈けっこを始めた。
新子は、準之助氏と並んで、それを見送りながら、歩調は変えなかった。
「貴女《あなた》は、当分結婚なさらないのですか。」いきなり準之助氏は、新子に訊いた。
「あら、どうしてそんなことを、お訊きになりますの。昨日《きのう》は、結婚生活をつまらないとおっしゃったじゃありませんの……それに、私は駄目ですわ。私が、結婚しますと、私の家の中心になるものが無くなりますの。私は、つまり働き蜂に生れついていますの。」と、明るくいって、それから一家の状態を、恥にならぬ程度で、打ちあけた。
準之助氏は、一々しみじみと肯《うなず》いて聴いていたが、ふと兄妹達が駈けて行ったベイカリの通りを一台の自動車が疾駆して来たのを見ると、ハッとして立ち止まった。万一、子供達が自動車に触れはしないかと心配したのであろう。
だが、自動車が行き過ぎてしまうと、砂ほこりを浴びながら、兄妹はこちらを向いて手を振っていた。
二人が、お互に安心した
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