も口にしなかったのだろうか。新子は、さすがに少しジリジリして、
「美沢さん、別に私のこと何か貴女に訊かなかった?」と、背を向けたまま訊《たず》ねた。
思いがけない姉の積極的な問いに、美和子は、ドキッとした。
(私を送ってお姉さんに会いに来るはずだったのを、私が銀座へ連れ出したの)などと答えては、たいへんだと思ったので、
「ううん。何も。」美和子の声は、低く小さく、さりげない夜風のよう。それを聞いた新子は、急に淋《さび》しく胸がふさがった。
一家の生活問題に及ばずながら立ち向おうと、立ち上ると、その隙間に側《そば》に寝ている肉親の妹が、早くもわが愛人をかき乱そうとするのか。新子は、全身をながれる悲しみを感じて、瞼《まぶた》の裏があたたかくぬれてきた。
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新子の仕事
一
久しぶりの青空である。
午後からは、カッと暑くなりそうな、日曜日である。十六、七日の藪入《やぶい》りを雨に取られたので、そのつぐないをしようとする小店員。リュクサックを肩に、一晩泊りのハイキングに出るオフィス・ガールや青年達。街も活気に充ちていたが、上野駅は一時に夏が押
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