新子は、十一時まで美沢を待っていた。かの女は、美沢が近頃猛練習で、忙しいのを知っていたから、今宵会わなければ、軽井沢へ行くまでに、会う機会がちょっと得られないことを知っていた。
しかし、三時間近く待っていてさらにそれ以上待つのは、自分の心の底を見すかされるような気がしていやだった。
十二時近くまで未練がましく待って、それでももし帰って来なかったりしたら、いよいよ引っ込みがつかなくなると思ったので、十一時になったのをキッカケに、体《てい》よく美沢の母に暇乞いして、帰途についた。
新子は、美沢と交際《つきあ》ってから一年以上になるが、その間に美沢の欠点も美点も、すっかりのみ込んでいた。美沢が芸術至上で、自分の芸の完成にどんどん邁進《まいしん》して行くところは好きだった。金は無くても、芸術貴族として、世俗に対し、気むずかしそうに、眉をひそめているところなど好きであった。しかし、それでいて彼女の現実的な考え方から、時々美沢に、「ヴァイオリニストで、ちゃんと一家を持って行っている人は、日本に何人いるのかしら。」など云って、美沢をいやがらせていた。
実生活でも、美沢は質屋へ行った話をしなが
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