冷たく秋の初めのように、白粉も紅も、肌によく落着いて心地よかった。
 姉よりも地味な好みの、たった一枚持っている上布《じょうふ》の着物に、淡《あわ》い色ばかりの縞の博多帯で、やや下目にキリリと胴を締めて、雨よけのお召のコートを着て、新子は十一時、四谷の家を出た。
 ただ一人、円タクの片隅に小さくなって……しかし、思案深げな双眸の下の頬には、ウットリとした明るみが、久々に忍び上っていた。

        五

 八階まで、エレヴェーターで運ばれて、雨の日の午《ひる》の、さすがに閑散な広い食堂の、ロビイに足を入れると、葉巻をくゆらせて、準之助氏が一人、横顔を見せていた。
 新子は、そのまま立ち止って、準之助氏が、こっちを振向いてくれるのを待っていた。
「やあ。」
「私の方が、早いつもりでしたのに、お待たせしてすみません。」
 新子は、微笑しながら、準之助氏のかけているソファに間隔を置いて坐った。連れが揃ったと見て、給仕が早くも、メニュを持って、料理を訊きに来た。
「何になさいます。」と、準之助氏が新子を顧みた。
「何でも。嫌いなものございませんから……」
「僕と同じでかまいません?」

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