ら見ると、雨である。サツサツと横なぐりの夏の雨である。八月とは思えぬほど冷たかった。
 新子は、今日は準之助氏に電話をかけようと決心した。姉の問題もあるが、しかし、今よるべき一縷《いちる》の糸もない新子のよりどころない心の寂しさが、そう決心させたのかもしれない。
 十時頃、近所の酒屋から電話をかけると、
「新子さんですか、僕は、もう会って下さらないものだとあきらめて、明日は東京を離れようかと、思っていたところです……」せわしない興奮した声が、新子を何となく微笑ました。
 正午《ひる》、昭和通りのレストゥラントAで、会おうという約束で、電話が切れた。
 家へ帰って、久しぶりでどことなく、ふくらみを持った気持で、鏡台に向うと、新子はまた一層気持が改まった。
 姉妹《きょうだい》とは背《そむ》き合い、美沢までも情けなくも自分を見棄て去った現在《いま》……彼女は、鏡に向って己《おのれ》の顔を眺めていると、この頼りない自分の姿を、そのまま見せてもいい相手は、前川一人のような気がした。
 彼女は、入念な化粧をした。汗がにじみやすい、夏の化粧は浮き立って、思うようにはしにくいものであるが、今日は肌が
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