のあとをザッとかくしてから、部屋を出ると、別荘の裏口から森を抜け、草の小路を真直ぐに、外人の経営している療養所《サナトリウム》の赤い建物の方へ歩いた。
 アカシヤの並木がつづき、近く小川のせせらぎが聞えて来る。夏の午後とも思えない静かさである。ここまで、歩いて来ると、新子の気持もずうっと、落着いて来た。
 その辺《あたり》を行きつもどりつ歩きながら、そのあたりの風光から、かの女は非常に佳い音楽や、よい絵画や、よい物語を感じていた。美沢さんなどは、このあたりを、どんなに欣ぶだろうかと考えたくらい、すっかり平静な彼女になっていた。

        三

 彼女が、アカシヤの幹にもたれて、今来た道をふり返ったとき、ゴルフ・パンツに鳥打《ハンチング》の紳士が歩いて来るのを見た。それが、準之助氏の若々しい姿だと気づいたとき、新子の頬に自然な微笑が溢れた。
「お待たせしましたね。」と、準之助氏は近寄って来て、彼女とさし向いにちょっと立ち止まると、
「あちらへ歩きましょう。」と、新子を誘った。新子も、うなずいてアカシヤの並木道を、山手《やまのて》の方へ並んで歩き出した。
 準之助氏は、しばらくの間
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